本日(2025年6月22日)放送の人気テレビ番組で、日本を代表する俳優・阿部寛さんの知られざる壮絶な過去が明かされ、大きな話題となっていますね!
今や渋くてダンディな実力派俳優の代名詞である阿部さんですが、そのキャリアの原点は、なんとファッション雑誌**『メンズノンノ』のトップモデル**だったというから驚きです。
しかも、ただのモデルではありません。 「創刊号から43号連続で表紙を飾る」 という、まさに前人未到の伝説を打ち立てたカリスマだったのです。
この記事では、テレビで語られた貴重なエピソードと共に、今では考えられないほどのオーラを放っていたモデル・阿部寛さんの伝説を、当時の表紙を振り返りながら(想像しながら)ご紹介します!
きっかけは「車が欲しかったから」!?衝撃のデビュー秘話
番組でも語られていましたが、阿部さんがモデル業界に足を踏み入れたきっかけは、驚くべきものでした。
当時、就職活動中だった大学生の阿部さん。 なんと、「メンズノンノ・ボーイフレンド大賞」の優勝賞品だった車(スズキ・カルタス)が欲しくて、オーディションに応募したというのです!
そして、見事グランプリを獲得! 189cmの長身と彫りの深い端正な顔立ちは、またたく間にティーンの心を鷲掴みにし、1986年の『メンズノンノ』創刊と共に、日本のファッションシーンのアイコンとなりました。
前人未到!伝説の「43号連続表紙」の偉業
阿部寛さんの名を不動のものにしたのが、この「43号連続表紙」という大記録です。 これは、創刊から3年半以上、毎月必ず彼が表紙を飾っていたということ。
当時の雑誌業界で、一人のモデルがこれほど長くトップに君臨し続けるのは異例中の異例。彼がどれほどの人気と影響力を持っていたかがわかりますよね。
それでは、当時の表紙は一体どんな雰囲気だったのでしょうか? 著作権に配慮し、ここに画像を掲載することはできませんが、記憶と記録を元に、当時の輝きを振り返ってみましょう!
伝説の表紙
- 記念すべき創刊号(1986年) まさに時代の幕開けを感じさせる、フレッシュで力強い眼差し。当時流行の最先端だったDCブランドのジャケットを颯爽と着こなす姿は、新しい男性ファッション誌の象徴そのものでした。
- 爽やかさ全開のサマースタイル 夏の号では、小麦色の肌に白いTシャツが眩しい、爽やかな笑顔の表紙が印象的です。背景の青い空と海が、彼の抜群のプロポーションをさらに引き立てていました。
- クールな魅力!秋冬ファッション タートルネックのセーターやロングコートに身を包み、少し物憂げな表情でこちらを見つめる表紙も。夏とは打って変わったクールで知的な雰囲気に、モデルとしての表現力の高さを感じさせます。
- 風間トオルさんとの最強ツーショット 当時、人気を二分していたモデルの風間トオルさんと共に表紙を飾った号もありました。時代の寵児二人が並ぶ姿は圧巻の一言。まさに伝説の一冊です。
このように、毎号違う表情でファンを魅了し続けたことが、43号連続という偉業に繋がったのですね。
俳優への道、そして仕事激減の「暗黒時代」
モデルとして頂点を極めた阿部さんは、映画『はいからさんが通る』で俳優として華々しくデビュー。
しかし、その後は「メンズノンノのモデル」というイメージが強すぎたためか、俳優としての仕事が激減してしまいます。番組で語られた「あの人は今…」という企画のオファーを受けたというエピソードは、当時の彼の苦悩を物語っています。
まさに、栄光からの転落。想像を絶する屈辱だったに違いありません。
人生を変えた高倉健との「3秒間の共演」
そんな暗黒時代に、彼の人生を大きく変える出会いがありました。 それは、憧れの俳優・高倉健さんとの共演です。
どうしても高倉健さんと同じ作品に出たいと願った阿部さんは、映画『新・極道の妻たち 覚悟しいや』で、わずか3秒しか映らない「工事人A」という役を直談判して掴み取ります。
この経験が、彼の俳優としての魂に火をつけ、演技の世界で生きていく覚悟を決めさせたのです。
まとめ
モデルとして頂点を極め、俳優として一度は挫折を味わいながらも、不屈の精神で日本を代表する俳優へと登りつめた阿部寛さん。
その輝かしいキャリアの原点には、間違いなく『メンズノンノ』のモデル時代がありました。テレビで語られた伝説の数々は、彼のドラマティックな人生の序章に過ぎなかったのかもしれません。
これからも、私たちの心を揺さぶる素晴らしい演技を見せてくれることを期待しています!
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